近年、子供が嫌がることは無理してやらせなくてもいい、といった社会的風潮が強まっているように感じます。度が過ぎる場合には、確かに無理をさせる必要はありません。しかしながら、昨日のブログではないですが(詳しくはこちら)、発達には個人差があるとはいえ、ある程度は年齢相応のことをやっていく必要があるのではないでしょうか。それは必ずしも学習面に限ったことではありません。
教育基本法の第一条から第三条を引用しますと、
第一条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこ
と。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関
連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画
し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展
に寄与する態度を養うこと。
第三条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。
とあります。これらは戦後日本の教育の根幹をなすものです。我々大人は子供の個性を尊重しつつ、子供の能力を向上させ、独立した人間として育てていかねばならないと思います。子供の成長過程においては、一定の困難は避けられないものであり、その困難をどう乗り越えていくか、それを見守るのもまた大人の役割ではないでしょうか。これは子供の思い通りにさせてあげることとは本質的に異なるものであると思います。
以前、ネットの記事で元プロ野球選手のイチローさんが、今の時代は指導する側が厳しくできなくなった旨を書かれていて、そのことに大きな反響がありました。イチローさんは以前から同様のことを言われていて、ネット記事になる前から僕は生徒に言ってきました。
「良いか悪いかはさておいて、大人が子供に厳しくすることが難しい社会になってしまった以上、自分を律していかねば成長は見込めない」
「このことにいつ気付けるかどうかの差だ」
僕は甘やかし過ぎるのは子供のためにはならないと思っていますし、だからといって度が過ぎた管理指導も違うと思っています。懐古主義的思想には懐疑的ですし、しかし現状が最善とも思っていません。さじ加減が非常に難しいのです。
子供達にわかって欲しいのは、今その瞬間に自分の欲望通りに行動することが「自分を大切にする」ことにはならないということ。「自分を大切にする」ということは、目の前のやるべきことや困難から逃げ、好きなことだけをすることでは決してないのです。例えば、今や学校の先生は、提出物を出さないことに対しても厳しい注意をされなくなりました。これ幸いと、新品のワークを本棚の肥やしにしていた子と過去に何人も出会ってきました。そんな彼らに、しつこく何度も何度も必ず提出するんだと言い聞かせ、なぜやらねばならないのか話してもきました。学力の差がかなり開いてしまっている中学生にとって、とりわけ数学の一斉課題が適切なのかどうかは個人的に思うところはありますが、それでもできないならできないと自ら申し出たり、提出期限の延長を求めたりすることはできないことではないはずです。何かしらの代替措置をなぜ求めない。やれることはあるのではないか。こういったことも学びのはずです。
できないならやらなくてもいい、やりたくないからやらなくてもいい、そうやって自分を甘やかすだけ甘やかして、心身のバランスがとれた成長が期待できるでしょうか。「自分を大切にする」は「自分を甘やかす」こととは違います。このことを大人も子供も今一度真剣に考える時期が来ているように感じます。