岐阜県公立高校入試まで30日あまりとなりました。当塾でも受験生は日々過去問を解きつつ、やり直しと弱点箇所の補強に励んでいます。年が明けてから、今まで以上に緊張感を持ってくれていると感じています。
ところで、国語の入試問題として選ばれた題材は「受験生へのメッセージである」といったことが言われますね。昨年の岐阜県公立高校入試では、大問3に1966年初版の岩崎武雄『哲学のすすめ』(講談社現代新書)が選ばれました。古典は別とすれば、60年程前の本がなぜ選ばれたのでしょうか?そのヒントが問題の第1〜4段落に隠されていると言えると思います。以下に引用します。
1︎⃣哲学とはいったいなんでしょうか。
2︎⃣ 人間は生きてゆくかぎり、必ずなにか行為をしなければなりません。われわれはなにも行為しないで一日も
過ごすことができません。いや少し極端にいうならば、一瞬間たりとも、行為しないではいられないのです。
3︎⃣「しかしわたしはきょう一日なにもしないで、ブラブラしていた。」
という人があるかもしれません。だが、よく考えてみると、このように「なにもしないで、ブラブラしていた」
ということが、すでに一つの行為なのです。なぜなら、その人はブラブラしないで、なにか仕事をすることもで
きたはずだからです。ブラブラしていたというのは、その人がみずから「なにもしない」という行為を行なった
のだといわねばなりません。(中略)
4︎⃣ このように人間は常に行為しなければ、生きてゆくことができませんが、このさい重要なのは、人間がみず
からの自由によってその行為を選ばなければならないということです。人間は行為を選ぶ自由をもっています。
われわれは暇さえあれば寝て暮らすこともできます。また寸暇を惜しんで、勉強したり、仕事に打ち込んだりす
ることもできます。われわれは日常行なっている一つ一つの行為を、すべてみずからの自由によって決断し、選
んでいるのです。
(上掲『哲学のすすめ』P14〜16より引用、四角内の数字は入試問題に付されている段落番号)
※引用するとわかりづらいですが、冒頭の一文は本の中では前の段落の最終部分です。
この引用部分は昨年実際に入試会場で読んだ受験生のみならず、今年の受験生、そして過去問を手にするであろう下の学年の子達にも多くの示唆を与えていると思います。
受験生の中には、公立高校入試が近づいてきたことによって、今までに感じたことのない不安と焦りを感じている子がいるかもしれません。また、「あの時〇〇していれば」といった後悔を感じているかもしれません。しかし、もう過ぎ去った日々のことを悔やんでも、未来を変えることなどできないのです。引用部分にあるように、”われわれは日常行なっている一つ一つの行為を、すべてみずからの自由によって決断し、選んでいるのです”から、自分にとって最善であろう選択をし、入試当日までの時間を過ごして欲しいと願います。