久しぶりにブログの記事を書こうと思いました。
個人的な話になりますが、最近になって時間を見つけて高校日本史を勉強し直しています。昨年も少しだけやったのですが、あまり進むことなく途切れてしまいました。今回はゆっくりですが続いており、これは良い教材と出会ったのも大きかったと思います。室町時代の終わり頃まで勉強しましたが、まだまだ覚束ない感じなので、定期的に前の時代のことも復習しつつ、次に進んでいくという感じになりますね。
大学受験から20年ちょっとですか、当時は日本史が最も得意な科目であったのに、それも今は昔、多くの事柄を忘れてしまっています。当たり前と言えば当たり前のことですが、普段ほとんど触れることのない事柄というのは、本人がいくら覚えていると思い込んでいても、実際には忘れてしまっているんですね。それで、教科書を読み、基礎的な問題集を解くという方法でもって勉強している訳ですが、1回目は本当に空欄ばかりになってしまいます。問題番号だけが虚しく並ぶノート。教科書を読んでも、それが全然残っていないということですね。「あぁ、何だったっけ」となるばかりで、全く手は動きません。
1回目を終え、答え合わせをした後は教科書を読み、問題部分を見直して、後日2回目を必ずやるようにしています。そうすると、1回目はあれだけ空欄があったのに、一気に空欄が少なくなります。それでも全問正解とはなりません。そしてまた後日、今度は3回目をやるのですが、ここでようやく空欄がなくなり、全問正解することが増えます。とはいえ、増えるだけで毎回全問正解になるばかりではありませんし、空欄がなくなるばかりでもありません。元々苦手な部分は4回目、5回目、いやもっとかもしれません、回数を重ねてようやく覚えることができる場合とてあるのです。しかし、これは不思議なことでも何でもありません。そんなものです。
この日本史勉強ノートを、先日何人かの生徒に見てもらいました。間違いが多い部分も隠すことなく。見てもらったのには理由があるからです。
学校のワークへの取り組み方が甘いと言わざるを得ない子がいます。学校の先生から提出を求められる範囲を終わらせることをもって、勉強したと思っている、いや、できるようになったと思いたいのでしょう。しかし、点数に全く結びついていないことからも、1度解いただけではできるようになったとはとても言えないんですね。そのことを本当はわかっていながら、様々な理由でできるようになるまで取り組むことから逃げ、テストで厳しい現実を突きつけられる訳です。そして、次こそはと思いながらも、同様のことを繰り返してしまう悪循環。いつかはそういった悪い流れを断ち切らないといけないのに、そのきっかけを得ていないので、だったらわかりやすい例として見てもらうとしよう、そういう意図がありました。
繰り返し繰り返し、勉強ってそういうものなんじゃないですかね。覚えては忘れての繰り返し。1度で覚えられることにも限りがあるし、人によって得意不得意、興味のあるなしがあるので、スッと覚えられることばかりではありません。何とかイメージを残せるようにと工夫するのもまた勉強。自分自身、勉強のやり直しをしていてつくづくそう感じています。