「やる気」幻想/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 「やる気が出ない」、それはとても便利な言葉だと思います。そして、ついつい使ってしまう言葉でもあるように思います。でも、本当に「やる気」などというものが最初から備わっている人というのはいるのでしょうか?甚だ疑問に感じます。

 

 少し前になりますが、ツイッターで多くの反応があるツイートを見ました。東大の先生の指摘だそうですが、「やり始めないことには、やる気は出ない」という内容です。成程なぁ、と思いました。

 

 人間は物事を最初の印象で「好き」もしくは「嫌い」になっていることが割と多いのではないでしょうか。しかし、実際に「好き」だと感じたことを深めていこうとすると、本当は好きではなかったということもあります。逆に、「嫌い」だと感じたことが、時間が経てば経つ程「好き」に変わることもあります。とはいえ、そこまでに辿り着くのは、それなりに打ち込んでからの話です。第一印象での「嫌い」が、「嫌い」であって欲しい、と知らず知らずのうちに自分自身をそう思い込ませてしまい、結果的に「やる気が出ない」ということにすり替わってしまっていることがないでしょうか?

 

 大人になると、「やる気が出ないのでやりません」では通用しないことがたくさんあります。仕事はもちろん、家事にしてもそうですね。やる気が出ないからと仕事を休んでばかりいたら、仕事そのものが成立しません。やる気が出ないからと家事をサボり続けたら、部屋は汚れに汚れ、食器や洗濯物はたまっていく一方です。やる気があろうとなかろうと、やらなければならないことから逃げる訳にはいきませんから、仕方ないなと思いながらでもやらざるを得ないのです。やる気や「好き」「嫌い」に関係なく、やらねばならないからやる、そういうものだからです。

 

 もちろん、勉強について言えば、心理的な部分は極めて大きいと思います。まず、第一歩を踏み出すまでに抵抗を感じる子が少なくありません。僕がこれまで一緒に勉強してきた生徒の中には、第一歩をなかなか踏み出せなかった子もたくさんいました。ですから、第一歩を踏み出すことの心理的障壁は、想像以上に高いということも理解しています。受験生とは言っても、直前にならなければ「自分は受験生である」とはなかなか思えないのもわかりますし、況や下級生であれば受験は遠い未来のことだと思っていても仕方ないのかなとも思います(実際には、早期に気付いた子との差は開く一方ですから、このことに危機感を抱けないままでは大きな問題です)。ですから、「勉強は嫌いです」「勉強は苦手です」と言われれば「そうだよね」となりますが、それがただちに「やる気が出ません」→「だから勉強しません」に直結するのは、ひとえに「やる気が出ない」ことを言い訳にして、向かい合うことから逃げているように思えてなりません。

 

 まずは、決まった時間に勉強を始める。それこそ、やる気があろうとなかろうと、とにかくまずは始めることです。そして、せっかく勉強するのだからと、勉強したことは全部覚えてやろう!くらいの心意気が大切ですね。不思議なもので、少しでもできるようになると「もっとできるようになりたい」と思うようになり、それがいわゆる「やる気」になっていきます。つまり、「やる気」というものは後で出て来るものであって、最初からあるものではないということになります。そうすると、「やる気が出ないから勉強しません」は「やる気が出るようになるまでのことをやっていません」とも言えるかもしれませんね。勉強の第一歩を踏み出すのは「やる気の有無」ではないことがわかります。

 

 この第一歩をなかなか踏み出せないという子は、どうぞ僕達と一緒に勉強しましょう。いつでも待っていますよ