これまでプライベートなことを書くことはなかったのですが、たまには良いかなと思って書いてみようと思います。
僕には小学生の息子と娘がいるのですが、2人揃って小さい頃から本当によく本を読みます。読みたい本の全部が全部を買うことはできないので、妻は2人をよく図書館に連れて行っては貸し出し上限いっぱいにドッサリと借りてきます。それでもさっさと読み切ってしまいます。感心しますね、僕は子供の頃全然読書しませんでしたから。今回はそんな2人のうちの息子の話。
息子は幼少期に数字に強い興味を示し、気が付いたら算数・数学の世界に夢中になっていました。英才教育をしようなんて思ったことはありませんし、特に誰も教えていないのですが、本から知識を得ていったようです。欲しいと言われれば、数学図鑑、公式集の類も買いました。数学が得意ではなかった僕の息子とは思えない話です。算数・数学への関心は未だにあるようですが、一時ほどの熱意はなくなり、様々なことに興味を示すようになりました。このことを僕は必ずしも悪いことだとは思っていません。特定のことに極端に強くなることは悪いことではないですが、だからといって他のことは何もできなくて良いことにはなりませんからね。化学や物理にも関心を持っているようですが、最近はどうやら歴史に関心を持ち始めたようです。「おう、そうか、歴史か。遂に僕の範疇に入ってきたか」とちょっと嬉しくもあります。ちなみに、学校ではまだ歴史を習う学年ではないです。
では、具体的に息子が何から歴史の知識を得ているか。もちろん、本です。僕が子供の頃に読んでいた歴史のマンガとか、時々挿絵がある歴史の本。妻がよく「最近は歴史の本ばかり読んでいて、しかも寝る直前まで読んでいる」と言っていましたが、確かに本来やらなければならない学校の宿題の合間合間で「休憩」と称しながら歴史の本を読んでいるところを目撃したことがあります。1度火がつくと止まらない息子らしい光景ではありますが、きっと何度も何度も繰り返し読んでいるのでしょうね。
それだけ読んでいるならと、物は試しだと思ってその場で適当に問題を作って何問か答えてもらいました。全問正解とまではいきませんでしたが、ただ何冊かの本を読んでいるだけなのにここまでよく覚えているなと感心しました。しかも驚いたことに、年代毎に起きた事柄を的確に覚えていたこと。ただやみくもに読んでいるのではなく、内容を正確に覚えようとしていたことがわかりました。覚えようとしていた、と言うより、夢中になって読んでいたら自然と覚えていった、というのが正確な表現かもしれません。
夢中になる。それは覚えようと思って覚えたというより、自然と覚えていくことを指すと思います。意図的に覚えようと思っても、なかなか覚えられない、覚え切らないことはよくあることです。でも、時間を忘れて夢中になると、楽しいから、面白いからもっと知りたい、もっと知らない世界を見てみたい、そういった心境になると思うのです。これは勉強に関することだけに限りません。スポーツでも楽器演奏でも、何でも同じことが言えるでしょう。
今は苦手だとかあまり好きではない、興味がないと思っていることも、食わず嫌いではないですがこれまで向き合ったことがないだけで、本当は苦手ではないこともあるかもしれません。何気ないことで関心を持てたら、1度夢中になるまで向き合ってみると自分自身の違った一面を知ることができるかもしれませんね。そう、算数・数学好きだった息子が、急に歴史に強い関心を示すようになったように。