「情報化社会」という言葉が一般化してから久しくなりました(この言葉自体は1960年代から存在していたようです)。今や多くの人がパソコンやスマートフォンなどの通信機器を使っています。そうすると、定期的にOSそのものやアプリのアップデートをしていると思います。アップデートは機能追加やセキュリティ向上、バグの修正など、利用者が常に快適に利用できるように定期的に行われます。機器の性能がOSのバージョンアップに耐えられなくなると、アプリのアップデートができなくなって、アプリが使えなくなるということも発生します。又、OSのサポートには期間があるため、ずっと古いバージョンのまま通信機能を使い続けることには危険性が孕んでいます。よって、数年で新たな機器に買い替えなければならなくなります。
通信機器の場合、言わばこのような強制的なアップデート環境が用意されているため、ずっと古いまま使い続けること自体が困難です。アップデートできる環境を維持しなければならない。では、人の場合はどうでしょう?
失礼な物言いかもしれませんが、「情報化社会」とは名ばかりに、何十年も前の価値観のままの人が結構いるように思います。地方に在住していると、それが何十年も前の価値観だと気付けないどころか、都市部との差に気付くことすらないことがあります。もちろん、何でもかんでも新しい価値観や都市部の価値観が正しいという訳ではないでしょう。そのことは承知していますし、変えてはならない価値観もあるとは思います。しかしながら、人も通信機器と同じように定期的なアップデートは必要なのではないでしょうか?
僕が若い頃と比べても、あらゆることが大きく変わってしまいました。教育環境も激変しています。例えば、僕が若い頃は学べる大学が少なく、専門学校で学ぶ人が多かったような分野でも、今や大卒が主流になっているケースがあります。高度な技術に対応し、それを修得するためには専門学校では最早修業年数等々足りなくなっているということです。結果的には同じ職種に就くことも可能でしょうが、最初の段階で仕事の幅に大きな差が出てしまいます。こういった現実的な側面を知ることもなく、旧来の価値観に固執して専門学校への進学を勧めることが子供のためになるでしょうか?
これは一例に過ぎませんが、この例と同じように大人が自身の若い頃の価値観そのままに子供に伝えていることありませんか?スマホアプリは定期的にアップデートするのに、自分自身は全くアップデートしないまま、なんていうのもおかしな話です。アップデートしてくださいのマークが何年も前から出ているかもしれません。大人がそのことに気付けないと、子供にとっては悲劇ですよね?
通信機器のアップデートと同じように、人も自分自身のアップデートを定期的にしなければなりませんね。自戒を込めて。