塾運営者としてこのようなことを言ってしまって良いものかわかりませんが、僕が指導していて最も悲しいことは、生徒達の成績が上がらないことではありません。「えっ?塾ですよね?成績が上がらないことが悲しいことではないのですか?」、そのように思われる人もいるでしょう。もちろん悲しいです。悔しいです。でも、「最も」ではないのです。
最も悲しいこと、それはそうなってはいけないという方向に歩み出されること。そうなってはいけない方向に歩み出されると、もう勉強どころではなくなります。中高生の場合、何かしらの不安定要素が表れると、まず真っ先に手をつけなくなるのが勉強だと思います。余程の勉強好きではない限り、勉強するモチベーションを保つことは困難でしょう。それ故、不安定要素によって勉強どころではなくなってしまうのですから、残念ながら成績どうのこうのといった次元の話ではもうなくなります。しかし、このことは案外見落とされているように感じています。
特に勉強どころではなくなる外部要因を生徒自ら作り出されると、いくら指導しようと思っても、指導できる状態ではなくなります。もう声は届きません。何を言っても通じないのです。もっとも、そうなる前の段階、兆候が表出する段階で警告は与えます。それを甘く見ていると、すぐには目に見えるダメージを負うことはなくても、後々ダメージの蓄積が大きくなって取り返しのつかないことになります。そう、声が届かない状態に。でも、もうそうなったら手遅れです。
これまで、生徒の様子に芳しくない兆候が表出する段階で抱いた危惧は、概して杞憂に終わることがありませんでした。それまで何か月も、何年も苦労して築き上げてきたものが、一瞬にして無に帰すことになります。その間一緒に時間を過ごしてきた僕も悔しいですけれど、君はそれで本当に良いのか?と思わざるを得ません。このようなこと、過去に何回も経験しています。悔しいですが、僕は何もしてあげることができません。ただただ早く気付いて欲しい、そう願い、祈るだけです。
成績を上げることは容易なことではありませんが、誤った方向に歩み出してしまった生徒を軌道修正することは成績向上よりも遥かに難しいことです。そうならないように見守り続けることが、僕の役割の1つでもあるのかなと思っています。