進路に関する僕のスタンス/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 受験生が進路を決定する時期が近づきつつあります。ここのところ、受験生1人1人とできるだけ進路について話をするようにしているのですが、僕自身は義務教育ではない高校や大学は、本当に行きたい、勉強したいと思う子だけが行けば良いという考えを持っています。塾を運営している身としてはやや特殊な考え方かもしれません。隠すことでもないので、生徒達にははっきりと伝えています。ですから、進学したいのであれば、相応のことは勉強しようと話すようにしています。それは、高校や大学で教育を受けるのに必要な学力が明らかに欠如した状態での進学は、はたして何の意味を成すのだろうか?という考えからです。義務教育課程における「読み書きそろばん」のレベルのことが全くできない状態で、一体何を学ぼうというのでしょうか?学校は遊びに行く場所ではないので、勉強をする意思がないのにあえて進学する必要性とは何でしょうか?もちろん、これは僕の個人的な考えに過ぎませんから、一般化して語ろうというものではありませんし、他者に同調を求めようというものでもありません。それはご理解ください。

 

 実際の教育環境を見てみると、高校はおろか大学でさえも全入の時代を迎えています。それはもちろん承知しています。高校に進学しなかった場合、安易に就職するとは言っても、実際に就職できる職種は極めて限定されます。中学卒業後すぐに正社員として働くことは困難ではないでしょうか。高卒が最低限の学歴として求められている現実があります。それは否定しようのないことですし、我が子を何とか高校に行かせたいと願う親御さんの気持ちは理解しています。同時に、高校に入学さえすれば全てが解決するものではないことも、現実的な側面としてお伝えする必要があるという認識です。

 

 僕の場合は主に中学生を見ていますが、中には学力が極端に低い子もいます。例えば、教科書を音読することができない。それは漢字の読み書きの能力が著しく低いからです。読むことができないのですから、内容を理解することなどとても望めません。学校の課題を全てクリアするのも、そういう子には相当にハードルの高いことであることがこのことからも理解できるかと思います。客観的に見れば、こうした子が高校の履修内容に耐えられるとは思えませんが、それでも受け皿はどこかにあり、それが故に最初から「高校は進学を希望すればどこかには入ることができる」という考えの子供を増やしている節があるとも思っています。本当にそれで良いのでしょうか?学力が極端に低く、当の本人に学ぶ意欲がない状態であっても、それでも受け皿が用意されている。そのような状態での進学は、高校卒業までとてもモチベーションが保てないように思います。実際、過去の卒業生が高校を中退したという事実を風の噂で聞きました。高校に入ってさえしまえばそれで良いのではありません。決して入学がゴールではないのです。このことは塾設立時から一貫して生徒達に伝えてきたことでもありますし、せっかく入った学校を卒業できるように今のうちから基礎学力を身に付けておかねばならないとも伝えてきました。

 

 僕は生徒がどの進路を選択するか、相談に乗ることはあってもこちらでどうこう言うべきことではないと思っているので、原則的には明らかに無茶な選択でなければ口を挟むことはありません。塾としての合格実績というものにあまり関心がないからです。生徒が自身で決めた進路を実現するために応援し、後方支援するという立場だからです。加えて、明らかにできないだろうことをこちらの都合で無理強いするようなことはありません。これは、宿題は求められない限り出すことがないという方針通りです。たとえ「今のままでは受験に間に合いません」と言われようと、学力以前のところで色々と間に合っていないようなケースであれば、学力だけを無理して上げようとしたところで、別の要因によって子供が潰れる可能性が高いと思うので無理をさせるつもりがないのです。大切なのは、子供自身が「勉強しよう」と自ら思うことであって、周囲の大人が無理やりその状態を作り出すことではないのです。

 

 いくら周囲の大人が強制的に子供に何かをさせようとしても、当の本人の意思がなければ意味を成しません。自ら望んで勉強する、あるいは進んで勉強する訳ではないが進路を考えると勉強せざるを得ないと感じて勉強する、その範疇の子供だけを見ていれば気付くこともないでしょうが、勉強する意欲も学力も低い子に生きていく上で必要最低限は身に付けてもらいたいと思うことを勉強させようにも、「もっとできるようになりたい」とは言いつつ、実際には必ず覚えておかなければならないレベルのことさえ一向に覚えようという姿勢を示さない子供もいるのです。そういう子供に、いくら必要だからといって勉強することを無理に迫ったところで、すぐにその重要性、必要性を認識し、態度を改めるでしょうか?答えは「否」です。とにかく気付くまで待つしかない。待つしかないのです。

 

 最後に、先日読んだ宮口幸治著『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)の153ページに印象深い言葉が載っていましたのでご紹介しようと思います。 

 

“「子どもの心に扉があるとすれば、その取手は内側にしかついていない」”