ブログを書くということ/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 かれこれ2か月にわたり、当ブログの更新をお休みしていました。この間、夏期講習や2学期制の中学校の前期期末試験などがあり、本来であればこちらでも取り上げるべき事柄も多々あったと思います。もちろん、授業は休むことなくずっと行っていました。あくまでもブログの更新が止まってしまっていた、ということです。僕のブログを楽しみにされている方もいらっしゃると思いますが、そういった方には本当に申し訳ない思いです。

 

 振り返ってみると、当ブログは今年2月のホームページリニューアルにあわせ、旧来の中身の薄い日々の報告のようなブログから一新し、どちらかといえば僕が考える教育論をテーマとして書いてきました。塾の仕事は生徒の出入りが付き物で、入塾してくる生徒もいれば退塾する生徒もいるものですが、ホームページリニューアル当時は塾設立以来初めて1年以上にわたって進路確定以外の理由での退塾がなかったため、塾の規模は小さいままで生徒数も多くはないですが、それでも僕自身少々自信を持って塾運営に臨めていたと思います。これまでの運営を通じてわかってきたこと、それを具現化するためにやろうと思うことが明確になりつつあり、目指すべき方向性が徐々にはっきりとしてきていました。3月の公立入試では残念ながら1名の不合格者を出してしまいましたが、その生徒の懸命に、前向きに現実を受け入れようとする姿に触発され、生徒達に、保護者の皆様に、そして対外的にもっと自分自身の考えを伝えていこうという思いでブログを書いてきました。しかし...。

 

 あることをキッカケに、ブログを書こうという意思がどんどんと薄らいでいってしまいました。もっと言うと、ブログを書くことが怖かった。自分の思いを外に出すことが怖くなってしまったのです。精神的なスランプとでも言えるでしょうか。自信も失いかけていました。本当に自分がやってきたことは正しかったのだろうか?目指すべき方向性はこのままで正しいのだろうか?そういったネガティブなことばかり考えた時期もありました。体は元気なのに心が伴わず、考えをまとめてブログとして世に出す行為そのものを避けるようになっていきました。よく使っていたツイッターも、一時期運用をやめたこともありました。それくらい、外に向かって発信することを極端に避けるようになっていたのです。このままではいけない、何度もそう考えましたが、一旦ブログから遠ざかるともう書かないことに慣れてしまって、行動の選択肢に「ブログを書く」が消えてしまいました。不思議なもので、定期的に書いている時はどんなに時間がなくても無理やり時間を作って書いていましたし、他の先生方が書かれているブログもよく拝見していたのですが、自分自身が書かなくなるとそういった一連の習慣が全てなくなってしまうのですね。

 

 そうこうしているうちに2か月が経過してしまった、というのが現実のところだと思います。そろそろ書こうかな、重い腰を上げるのは今だよな、そう思ったのが3日前。土、日、月の3日間で最低1本はブログ記事を書こう、そうツイッターで宣言したものの、なかなか現実と向き合えない自分自身との戦いは続きました。何とかその戦いにも終止符を打てそうです。

 

 さて、僕にとってのブログとは、「自己表現の手段」というのが最も適切なのかなと思っています。ホームページへの誘導の手段、入塾希望者への勧誘、生徒や保護者への伝達、そういう意味合いがゼロとはもちろん言いませんが、思っていることを、書きたいことを、伝えたいことを書く、それでいいかな、と。これまでは何日かで1本とか1週間で何本みたいな自分の中での目標もありましたが、もうそういうのもやめて気楽に続けていきたいと思っているところです。僕が書いたブログを読んでくださる少数の方が、もし僕の言葉で何かしら得られるものがあれば良いなと思いながら、気が向いた時に書きたいことを率直に書く。そういう方向で書いていきます。その中で、自分自身の弱さも包み隠さず、ありのままに書いていこうと思っています。僕も1人の人間です。決して聖人でも超人でもありません。指導する立場にある人間とはいっても、中身は極々普通の人間です。虚勢を張っているだけで、精神的に屈強な訳でもありません。そういう姿や葛藤、悩みなどもそのままに。それが神経質で心配性の僕らしい、等身大の僕のままかな、と。ブログだからといって、存在しもしない虚像の自分を見せたくはありませんからね。

 

 今後とも当ブログにお付き合い頂ければ幸いです。