勉強法を知るより大切なこと/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 先月は全生徒が学校の定期テストを受けました。成果を得ることができた生徒もいれば、そうでなかった生徒もいます。それはそれで仕方のないことなのですが、テストが終わってから「どうやったら成績が良くなりますか?」とか「もっとできるようになる勉強法を教えてください」といったことを言われることが多くありました。方法論ももちろん大切なことではあると思います。ですが、それよりももっと大切なことがあることに気付いていないのではないでしょうか?そう思えてならないのです。

 

 テストの結果は、そりゃ悪いより良い方が誰だって良いに決まっています。ただ、良くするために何をしたのか、良くするためにどう考えたのか、といった部分を抜きにして、楽して成果だけ得ようというのはあまりにも虫の良い話です。努力しても芽が出ないことはありますが、概して小手先のテクニックとは無関係の部分、もっと根の部分が決定的に欠けているのだと僕は思います。

 

 それは何か?「執念」です。ここまで言うと言い過ぎかもしれませんが、絶対に目標を達成するんだという強い気持ちがなければ、最初から自分自身との勝負に負けています。ライバルと競う前に、自分自身に負けているのです。僕自身はこういった精神論を好みませんし、普段から生徒に求めるものではないですが、しかし最終的に勝負を分けるのは気持ちの問題であると思っています。それは、自己満足に近いような勉強をしていては、何も得ることなどできないということです。

 

 こんな話をしました。満点を目指しても簡単に満点を取ることはできない、けれど満点を目指さなければ満点に近付くことすらできない、と。満点をとることは非常に難しいことは言うまでもないのですが、満点をとるつもりで勉強しないことには気が緩みます。ミスが許されない、その心理的負担に耐え、一切の妥協をすることなく勉強を進めていかなければ満点にはなりません。その次元ではなくとも、各自が定めた目標を達成するべく本当に妥協なく勉強することができていただろうか?と振り返ってみると、まずできていないと思います。勉強時間は十分に確保しました、確かにそうかもしれません。ワークを何周もやりました、確かにそうかもしれません。でも、できるようになるんだ、目標を達成するんだという強い決意と執念がなければ、その勉強も質が落ちてしまうのです。ただやみくもに量をこなしても、そこに気持ちがなければ、単なる作業に堕してしまうといえるでしょう。

 

 もうすぐ夏休みになります。この夏休みを勝負だと考えている生徒もいるでしょう。勉強法を変えようと思っている生徒もいるかもしれません。それはそれで結構なことですが、そんなことよりも真っ先に強い決意と執念を持って欲しいです。まずは気持ちから。その気持ちが自分自身を動かし、質の高い勉強へと誘ってくれることでしょう。