人として尊敬するのに年齢や立場は関係ないよね?/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 僕のように普段生徒を指導する立場にいると、本人にその自覚があるかないかは別として、客観的に見れば生徒との関係性は師弟ということになります。僕の場合は、主に指導する対象が小・中学生であるので、生徒の年齢が僕の年齢よりも若いことになりますから、生徒から「先生」と呼ばれても文字通り「先に生まれた人」になりますか。しかしながら、保護者の方の中には僕よりも年長の方がいらっしゃいますから、そういった方からも「先生」と敬意を持って言われることもありますし、指導する対象が年長者に変わったり、あるいは僕が僕より年少の指導者に師事するということも十分に可能性としてはあり得るのです。それはつまり、「先生」は常に年長者である訳ではないということ。

 

 よく誤解されている節がありますが、僕が指導しているのは科目の勉強プラスアルファの部分であって、そうでない部分については生徒と立場が逆転することもあります。生徒の方がよく知っている分野だって当然あるんですから。作家の吉川英治さんの言葉である「われ以外みなわが師」ではないですが、教える者と教えられる者の立場などいつでも逆転する。そういう感覚は、普段指導する立場にある人こそ自覚しないといけないような気がしますね。もちろん、僕もそうです。

 

 この仕事を始めてから、数多くの個性派の生徒達と出会ってきました。その中には、普段指導している立場の僕が「この子は本当にすごいな」と思う生徒が何人もいるんですね。人格的に極めて優れた子、感心するくらい努力できる子、強靭な精神力を持っている子など。僕にはないものをたくさん彼らは持っているんです。師弟という関係を超えて、そんな彼らを1人の人として心から尊敬しています。実際、僕が彼らから教わったこと、影響を受けたこともかなり多いですね。そういうことによって、僕の価値観を、生き方を大きく変えてくれました。そのことに本当に感謝しています。

 

 年長者を敬おうというのは、社会規範として一定の合理性があるように思いますが、一方でそれが過度な形になってしまったのが、とりわけ体育会系に代表されるようないびつな上下関係でもあるように思います。よく考えてみれば、年長者だからといって皆が皆尊敬の対象とは言えないし、年少者だって凄い人はたくさんいるんですね。こんなことは当たり前のことと言えば当たり前のようなことなんですが、どこかで忘れられてしまっているような気がしています。

 

 人として尊敬するのに、年齢や立場など関係ないでしょう。これは僕が生徒から教わった1番のことなのかもしれません。