昨日のブログ記事ではないですが、塾運営者としては少々異質ではあると思いますけれども、合格実績であるとか成績アップを売りにした塾運営は、僕自身のカラーには合っていないからという理由で、こだわることをやめました。又、大人の事情で勉強を強制したり、宿題を出すこともやめました。それは、一昨日のブログ記事にも書きましたように、勉強を一過性のものにして欲しくないからです。
ただし、これらは理想と言ってしまえば理想だとも思います。勉強したくなったらおいで、そんなスタンスでは生徒達を甘やかしているだけだ、という意見もあるかもしれません。もちろん、そういった意見に対しては、僕の持論でもって説明をしなければならないとは思っています。簡単に言ってしまえば、塾というのはツールであって、それを生かすも殺すも本人次第であるのだから、ツールが生徒を拘束するのはおかしい、そういうことです。塾は学校ではありませんし、あくまでも任意で通う場所、というのが僕の認識ですからね。だからこそ、生徒達が主体的に勉強するようになるためには、生徒達自身の「気付き」が不可欠になってきます。
僕が普段一緒に勉強している生徒は、中学2、3年生で相当のダメージを負った状態になってから通い始めるというケースが決して少なくありません。勉強することにまるで関心がない、成績もどん底で基礎学力なし、それでも高校には行きたいって言う生徒です。高校受験までの時間は限られていますから、本人も保護者の方も相当に焦ってはいると思います。だからといって、元々勉強そのものには関心がないんですから、通ってもらっただけで成績が良くなるということは残念ながらないんですね。勉強どころか、勉強をする前の段階から向き合っていかないといけない。このこと、意外と軽視されていると思うんですよ。勉強する前の段階、心構えであったりとか、取り組む姿勢であったりとか、学ぶことの重要性もそうですね。こういうことは直接的に成績には反映されづらいものです。でも、これを軽んじると、嫌々勉強するだけのように思えてなりません。
では、そういった生徒にあれもこれも教えたとして、確実に吸収していってくれるかというと、恐らく不可能です。時間がないからと一気に教え過ぎても、ほとんどのことは吸収できないんですね。容量の小さなカップに一気に水を注いだ時のことを想像してみてください。それと同じように、吸収しきれない知識がオーバーフローをするだけです。ですから、時間がないからといって教え過ぎることは、何の意味もないということなんですが、これも意外と軽視されているように思います。とにかく教えてください、と。
勉強を強制することなく、しかし「勉強って面白いね」「知るって楽しいね」と感じ、そして気付いてもらうための労力はなかなかのものです。思うようにはいかないんですよ。人間には感情がありますから、コンピューターのようにこちらの意思を「入力」するだけで簡単に変わるものではないんですね。だから、「あなたの仕事は気付かせることではないですか!」と言われても、生徒に気付いてもらうまでに本当に時間が必要な場合だってあるんです。これは言い訳でも何でもなくて、タイミングもありますからね。
勉強することにまるで関心がない生徒を相手にして、それでもすぐに気付かせる。仮にそういうことができるとしましょうか。でもこれ、大人のエゴだと思うんですね。生徒本人が早々に気付く分にはいいんですよ。ただ、大人が何らかの力によって無理やりに気付かせるのははたしてどうでしょう?長続きしそうにない気がします。大人だって関心のないことにすぐに向き合えますか?無理ですよね?それを毎日やり続けねばならないんです。そう考えていくと、指導者に求められるものが知識や経験だけではなく、忍耐力も相当に必要だと思うんですね。ただ、これも意外と軽視されているように思います。甘やかしだと見做されてしまう恐れがある、ということです。
「勉強って面白いね」「知るって楽しいね」と思えるようになったら、僕があれこれ教え過ぎなくても、生徒達は自然と勉強していくようになると思っていますし、自然と勉強に向き合えるような状態になることを勉強における「気付き」なんだと理解しています。実際にそういう状態になった生徒が何人もいます。生徒達に「気付き」のキッカケを与え、気付くまで気長に見守り続けることが、僕の役割であると思っています。