塾は勉強を教えているだけ、といった意見を先日ツイッターで見ました。塾業界からはかなり批判的な意見が出ていましたが、そのツイート主が何をもってそう思われたのか、僕には真意がわかりません。塾を批判的に見ているんだろうな、とは思いましたけどね。ただ、根本的な疑問があって、ツイート主が何をもって「勉強」と言っているのか?という点は気になるところです。
ところで、何か月か前から玄関にアメ玉を置くようにしているんですが、ある時から減り具合があまりにも異常になってしまい、何故ここまで減るのだろうか?と考えていたところ、どうやら当然のように何個も取る生徒がいることがはっきりとわかったため、一時的に補充するのを控えていました。本来の目的は、冬場で喉が乾燥しやすくなるため、それを予防するためというものだったんですが、あればあったで疲れた時に摂取するのは悪くないと思ったので、冬が終わっても補充し続けていたんですけどね。
先日、ある保護者の方から差し入れのアメ玉を頂きまして、これを良い機会だと思って張り紙をした上で補充を再開しました。僕は基本的に教室内に張り紙や掲示物をしない方針で、今掲示してある物は予定表以外、「整理整頓」「靴は下駄箱へ」などのマナーに関する内容が書かれた紙程度で、各自の点数や志望校の目標であるとか、合格実績一覧とか、そういった類の物は一切ありません。殺風景と言えば殺風景で、塾っぽくないかもしれませんね。そういう環境にあって、今回あえて行った張り紙が上の写真になります。
アメは「自由」に取っても良いですが、その「自由」の意味をはき違えている残念な子がいるようです。
皆で分け合って食べる物なのに、どうして自分さえ良ければ良いという発想になれるのでしょうか?
そういう人にはなって欲しくないですよ。
この張り紙をしたからといって、減り具合が急激に緩和されることはないでしょう。ある程度減るのは仕方のないことだと思っていますし、ある意味で出席率が高いことともリンクしていると認識しています。言いたいことはそういうことではないんですね。「自由」とは何か?をこういったことの中からも感じ取って欲しい、そういう願いを込めています。
最初の話ではありませんが、僕は今回の張り紙に関することも、生徒にとっては「勉強」だと捉えています。科目の勉強をしつつ、人が集まる場所だからこそ求められる立ち振る舞いなども一緒に学ぶ場としていきたいと思っています。