学力向上に必要なものって何?/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 「学力向上に必要なものって何ですか?」といった類いの質問をされることが度々あります。最初に書いておくと、ここでは勉強量には言及しません。それの前提としてなければならないものは何か?の話です。生徒の現在地によってはケースバイケースなので、一概に「これ!」とはもちろん言えないんですが、ただこれまでは「素直さ」だろうと思っていました。この点については、多くの指導者が同様のことを指摘していますね。僕は今でも半分はそう思っていますが、半分は別のことを思うようになったんです。

 

 「こうした方が良いよ」といくらアドバイスしても、それに対して全く聞く耳を持ってもらえなければ、学力向上は見込めないと思います。その点で言えば、確かに素直さは必要でしょう。

 

 でも、僕のみならず指導者の助言が全て的確かと言うと、残念ながらそうとも言い切れない部分は少なからずあります。例えば、僕は過去のいくつかのブログの中で、特に学校の課題に関する批判的意見を述べてきています。勉強した内容よりもノート使用量で家庭学習量を可視化しようとする課題、答えを写してでもとにかくワークを埋めるよう求める課題。そういった指導を素直に受け容れた生徒が、はたして学力が向上するのかと考えると、多くの場合で効果がないと感じています。実のある勉強というよりは、勉強っぽい作業として消化しているからです。しかし、こういった課題に慣れ過ぎてしまっているために、これを否定するようなことを言うと露骨に嫌がる生徒もいるんですね。

 

 考えてもみてください。この場合、生徒は素直なんですよ。素直だからこそ、学校での指導を善として受け容れ、忠実に実行しています。なかなか学力が向上しなくてもそこにこだわり続ける理由は、皮肉にも素直だからはないですか?前回のブログ内で書いた「学校の無謬性」とはまさにこのことを指すと言えますね。

 

 過去のブログで触れている事柄なので例に出しましたが、指導者の助言を素直に受け容れた結果、伸びていかない、あるいは方向性を誤ってしまう生徒がいることもあり得るということです。それに加え、一般論が通じない、通じづらい生徒もいるでしょう。とすれば、「素直さ」だけでは足りないことになる。

 

 そのように考えた上で、僕は生徒にとって学力向上に必要なものが「素直さ」に加えて「思考、行動の柔軟性」ではないかと思うようなったんですね。ここでいう「思考、行動の柔軟性」に、「素直さ」の要素は含まれていません。「素直さ」とは無関係に、結果的に学力が向上すれば良いのだからと、良さそうなものは取り入れ、自分なりにカスタマイズできる柔軟性、あるいは特定のことにこだわり続けることなく、アップデートし続けられる柔軟性を指します。「貪欲な」とも言えるかもしれませんが、利用できるものは利用する、そういったニュアンスです。

 

 多くの学校で今年度最初の定期試験が6月半ばに行われます。試験まであと1か月ですね。生徒達には「素直さ」だけではなく、学力を向上させるための「思考、行動の柔軟性」もぜひ持ってもらいたいものです。