その姿勢が心を動かす/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 僕のような指導する立場にある者は、導く方向性は指導者によって異なれども、生徒1人1人が進むべき方向へと導くことが役割として求められる仕事ではありますが、逆に導かれることがあるというのもまた事実です。

 

 最近、「この子は変わったなぁ」と思う生徒が何人かいます。初めて会った時とは良い意味でまるで変わってしまった、そんな生徒達です。とにかく一生懸命なんですね。上手く言葉では表現できないので残念なんですが、ひたむきさが伝わってくるんです。表情もすごく良いし、堂々としている。最初のうちは「本当にこの子はどうしたいんだろうか?」と思うことが無かったと言えばウソになりますから、その変わりっぷりは明らかです。でも、僕が何かをしたということはありません。彼らが自身の中で何かに気付いて、それが自身の行動を、姿勢を変えているのです。よく気付いたね、そんな風に思いますし、やはり気付きは何よりも大事だなと改めて感じます。

 

 本当によく頑張っているなぁと思う生徒と話をすると、強く「こうなりたい」と思ったら自然とやるようになったとか、少しできるようになったら楽しくなってきたと言われます。そうなんですよね、こういったことというのは他者から強制されてなるものではなくて、自分の意思そのものなんです。たとえ親が「こうであって欲しい」「もっと勉強して欲しい」といくら思ったところで、指導者が「ここまではできる」「もっとできる」と励ましたところで、本人にその気がなければどうにもなりませんからね。あくまでも本人の意思がそうさせているんです。

 

 ひたむきに頑張ろうという姿勢になった生徒が1人でもいてくれると、周囲の生徒達だけでなく、僕達大人まですごく刺激されて、こういうのが理想の姿なんだなぁとつくづく思います。いるだけで、周囲に良い影響を与えてくれる存在。でも、元からそうだったかと言えば、先程も書いたように決してそうだった訳ではないんです。色々失敗して、悩んで、苦しんで、そこから何かに気付いて、そして姿勢が、行動が変わっていった。思春期は難しい年頃だと言われますが、たくさん失敗できる時期でもあります。その失敗を通じてどれだけ学びを得られるか。結局、変わっていく子と変わっていかない子の違いは、失敗の生かし方でもあるように思います。

 

 変わっていった子というのは、例えば課題など出さなくても、自分で弱点を見付けて復習したり、予習をするようになっていくんですね。必要があれば、自ら「課題が欲しい」とやるべきことを自身で計画を立て、淡々とこなしていくことができるようになるとも言えます。そして、目標が明確であり、その目標に到達するために自分は何をやらなければならないかを自覚しています。その原点が気付きだと言えますね。

 

 頑張っている生徒達に刺激され、僕自身ここのところ強く思うことがあるんです。一般的な塾の在り方からすれば方向性としてどうなのか?と思われるかもしれませんが、僕は結果よりも過程と気付きを重視したい。無理強いされた勉強ではなく、楽しいからやる、必要だからやるという、生徒達の自発的な意思に基づく勉強を一緒にしていきたい。それが自身の目指す方向性なんだ、と。生徒達の姿勢が、迷っていた僕の心を動かし、方向性を決定づけたと言えるでしょうか。

 

 この場をお借りして、頑張っている生徒達にお礼を言いたいです。ありがとう!これからも全力で協力していくぜ!