読み書きそろばんの「読み」/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 「勉強のやり方がよくわかりません」「勉強のやり方を教えてください」

 

 これ、よく聞く言葉です。小学校低学年からではありません。中学生からです。僕はメインとなる対象を中学生にしていますので、たまたま中学生からということになるんですが、高校生になっても多分同じことを言う子は一定数いると思います。違うな、大学生でも社会人でも同じことを言う人はいるでしょう。まぁ、年齢は関係ないってことですね。

 

 どういうことかというと、自身の「勉強法」が確立されていないということになりますか。しかし、この「勉強法」ってのがまたクセモノなんですね。世の中を見渡せば、「勉強法」の本とかいわゆる「ハウツー」の本が溢れています。ただし、皆が皆それらを手に取ったところで、本当に意味があるのか?と言えば、むしろ有害であることすらあります。そっちの方が多いかな。だってそうでしょう、本に書かれていることを実践したところで、皆が皆同じことをしてできるようになりますか?普遍的なことならわかりますよ。でも、それが一個人の体験に基づいたものならどうなの?勉強法というより自慢話なんじゃないの?読者を惑わすだけじゃないの?ってなことを、先日ツイッター仲間のみなさんとやりとりしました。

 

 ここで僕の考えを記しておくと、勉強法は人によってそれぞれで全く問題ないと思っています。それぞれが理解しやすい、覚えやすいやり方で。ただし、意味のない勉強法は確かにあると思いますね。そして、その意味のない勉強法に固執し続けると、当の本人は勉強している「つもり」になっただけで、勉強っぽいことをやったに過ぎない、ということになりがちです。そういう状態は避けねばなりませんね。

 

 その避けねばならないことを少し具体的に言うと、例えば僕が過去のブログでも触れている、使ったページ数によって勉強量を可視化しようとする勉強法(2月22日のブログ今月16日2本目のブログ)、答えを写経するような勉強法(今月16日1本目のブログ)、同じ漢字や英単語などを必要以上に連続で書く勉強法(2月23日のブログ)などになりますか。どうでしょう、これらは意味のない勉強法の代表格のような存在だと言えるかもしれません。そう考えると、自慢話を含むような一個人の体験に基づく勉強法の本なんかよりも、「これは絶対にやるな!意味のない勉強法 日本代表編」といった類の方が参考になりそうな気もしますね。

 

 最後に、僕が考える、勉強が苦手な子でも今からすぐにやれる勉強法を書いてみます。しかも、それは大半の子が小学校低学年の時に経験していることでもあり、新たに教材を買う必要もありません。教科書さえあれば、誰でもすぐに、机がなくてもできることです。

 

 何かというと「声に出して読む」、つまり「音読」です。しかも繰り返しの音読。え?それだけ?と思う人もいるかもしれません。でも、とても有効な勉強法だと確信を持って言えます。学年が上がるにつれ、子供達は音読よりも黙読をするようになりますが、集中力がないとどうしても目で追っている時に読み飛ばしが発生します。事実、目の前に書いてあることにすら気付けない子を多く見てきました。ウソのような本当の話です。声に出して読むということは、読み飛ばしを防ぐ上でも有効な手段であると共に、視覚と聴覚でもってイメージを残すことができる、理に適った方法であると言えます。又、読めない漢字や英単語があれば、その読みを勉強する機会にもなりますね。

 

 しかも、音読は国語や英語に限ったことではなく、どんな科目であっても適用でき、問題を解く時でも使えます。問題文を声に出して読むだけでも、これまで「難しい」と思い込んでいた問題を落ち着いて取り組めるようになるかもしれませんよ。目で追うだけならば短時間になりますが、声に出して読もうとすれば目で追うよりも時間が必要です。しかも、読み飛ばしなく正確に読もうとすれば落ち着かねばできません。声に出して読むことによって生じる「間」が、落ち着きを作り出すとも言えますね。

 

 昔の人は勉強の基礎を「読み書きそろばん」と言いましたが、何故「読み」がその3つの中で1番最初に出て来るのか、詳しいことは僕もよく知りません。ただ、文字を読めること、又文字を声に出して読めることというのは、勉強する上で最も初歩的で、且つ重要なことであるからだと解釈しています。

 

 いきなり難しいことをやろうとせず、まずは繰り返しの音読をしてイメージを掴む、そんな勉強法を実践してみてはどうでしょうか?僕は小学生の時からずっと、今でも変わらず音読勉強法を実践し続けていますよ。