僕自身の気持ちの話です。生徒達が度々「みんながそうするから」「みんながそう言うから」という主体性のないことを言うので、それをゼロにするのが今年度の目標だと思っています。何じゃそれ、成績アップとか合格実績とかじゃないのか?それでも塾か?はい、一応塾を名乗ってますが、個人塾なんてもんはいろんな形があっても良いと思っています。成績向上だけが全てではないので。
そもそも、生徒達の言う「みんな」って誰なんですかね?よくわかりませんが、「みんな」と言っているだけで、実態はないと思うんですね。何と言ったらいいんでしょう、「空気感」とでも言うのが良いのでしょうか。あるいは「幻影」。この言葉を辞書で調べると、「まるで現実に存在しているかのように、心の中に描き出されるもの。」とありますから、これが相応しいのかもしれません。いずれにしても、生徒達が思っている「みんな」などという存在は実際にはなくて、便利な言葉として用いている感は否めないのです。さも同調圧力に屈してそう決めたのだ、と言わんばかりに。
例えば、岐阜は圧倒的に公立高校を志望する中学生が多いことは事実です。それでも、岐阜学区は他の学区に比べれば私立高校の数では恵まれていると思います。つまり、それだけ選択肢はあるということ。であるにもかかわらず、私立高校を第一志望とする中学生は非常に少ない現実がある。明確に「○○高校に行きたい」というケースももちろんありますが、そうではなくて「何となく公立に行きたい」という中学生が少なからずいるのです。「みんなが公立に行くから」という幻影によってそう思い込んでいるのかもしれません。実際には、将来的なことを考えれば、私立高校に進学した方が指定校推薦枠などに恵まれ、自身の希望を叶える可能性があるかもしれない。でも、そういった面には目を向けようとすらせず、ひたすら幻影を追いかけている中学生がいても何ら不思議ではないと思うのです。
しかも、この「みんな」というのは、実は生徒達ではなくて、大人も結構使っていると思っています。僕もそうかもしれません。もっとも、対象が明確な時に使っているとは思いますが。
それは良しとして、中学3年生になった子なんかは、周囲の大人達から「みんな勉強やっているんだから」と言われることが多くなっているのではないでしょうか。でも、大人が言うように本当に「みんな」が勉強しているんでしょうか?確かにやっている子はいると思います。そういう子は別に3年生になったからやっているのではなくて、ずっと一定のペースでやっています。学年はあまり関係ない。では他はどうですか?ということになってきますが、多分それ程やってないです。いや間違いなく。この時期にはそこまでやりません。だから、「みんな勉強やっているんだから」ではなく、「みんな勉強あまりやっていないから、今が一生懸命勉強するチャンスだよ」と言ってあげる方が色々と良いのかもしれません。「みんな」という言葉を使うにしても、ありもしない「みんな」の姿を創造するのはちょっと違うかな、と思いますから。
最後に宣伝を少し。RS野中は、進路に関しては生徒の意思を尊重しています。公立だろうと私立だろうと、普通科だろうと専門科だろうと、等しく尊重します。「みんな」などという幻影に影響されることがないよう、今年の中学3年生には自分の思いを形にしていけるように助言をしていこうと思います。