「お金では買えない価値がある」
こんなCMやってましたね。確かに、お金では買えない価値はたくさんあります。経験したこと、気付いたことなどなど。これらはいくらお金があっても手に入れられるものではありません。もちろん、お金がなければ経験できないことが多いのもまた事実です。ですから、お金では買えない価値は確かにあるけれど、だけれどもお金はやっぱり大事だよね、ということになる。つまり、お金には価値があるということ。これは言わば合意形成がなされている訳です。でも...。
もし、僕達が普段使っているお金、とりわけ紙幣にその価値がなくなってしまったとしたらどうでしょう。硬貨のように金属貨幣であれば、仮に額面通りの価値がなくなってしまったとしても、金属としての価値がゼロになる訳ではない。しかし、紙幣は文字通り紙です。額面通りの価値がなくなってしまえば、ただの紙くずです。事実、ハイパーインフレの波に呑まれた国々の紙幣が紙くずになってしまったことは、歴史の事実として残っています。中学生だって知ってますよね、第一次大戦後のドイツの例などは。
10,000円札は10,000円の価値がある、と誰も疑うことなく使っているから10,000円の価値があるのであって、もし10,000円の価値という合意が崩されてしまうことがあったならば、10,000円札は額面通りの10,000円ではなくなるということです。随分回りくどい表現になりましたが、言うなればそういうこと。
僕達が生きている社会においては、「それだけの価値がある」と信じられているものは、決してお金だけではないと思います。そう気付かないだけで、他にも無意識に価値あるものと信じ切っているものもあることでしょう。しかも、それらは決して普遍的なものばかりではなく、時代の変遷によって一切の価値がなくなってしまうものも含まれています。
もしそうであるならば、今まで当然のように価値あるものだと信じて疑わなかったそれらのものに、一切の価値がなくなってしまったとしたら、僕達はどう生きていくべきでしょう?生きる力とか生き抜く力というものは、こういった時にこそ発揮されるべきものになりませんか?
未来を生きる子供達には、目の前にある「価値があると信じられているもの」だけにとらわれることなく、いつ価値観の大変革(パラダイムシフトとも言いますね)が起きても耐えられるような広い視野でもって、これからを生きる力を、そして生き抜く力を養っていってもらいたいと願っています。
そんな話を昨日最後まで残っていた生徒達と話していました。抽象的なことなのでわかりづらかったかもしれませんが、当然価値があると信じていることを疑い、そしてそれに対して思考を巡らせることは決して無駄ではないと思います。科目の勉強もしなければならないでしょうが、春休みという時間がある時だからこそ、色々考えてみて欲しいものですね。きっと、もっと知に対しての欲求が強くなるはず(?)です。
※今回の内容は、通称おだミュ先生とのツイッター上でのやりとりを通じてヒントをもらいました。先生にはいつも気付きを与えて頂いております。感謝。