オトナの楽観論/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 「図書館に行けば何時間かは勉強するだろう」「塾に行けば勉強するだろう」

 

 勉強を全くやらない子を持つ親御さんは、ひょっとしたらそう考えるかもしれません。気持ちはわからなくもないです。塾運営者である僕がこういう言い方をするのはおかしいですが、塾業界の関係者ですらそういう物言いをする人が残念ながらいます。しかし、本当に勉強するんでしょうか?

 

 かく言う僕自身、このホームページ上でも「家で勉強できないなら、一緒に勉強しようぜ!」と書いてはいます。それは事実なので隠すつもりもありません。一方、そうは言いつつも、個別具体的なことを事細かに教える塾ではないし、「子供達を自立させること」を教育課題としているので、あくまでも後方支援に過ぎないという部分はあります。つまり、「自ら進んでやる勉強は一緒にやりますよ」というスタンス。一見矛盾していますけど、勉強なんてものは本来やらされてやるものではなく、楽しいからやる、やろうと思うからやる、そういうものだと認識していますから。

 

 話は戻りますが、学習習慣のない、勉強することへのモチベーションが全くない、そんな子であっても「図書館に行きさえすれば、塾に行きさえすれば勉強するだろう」というのは、僕は楽観論であろうと思っています。理由は後に書きますが、最初に結論から言ってしまえば、勉強する場所に行ったとしてもやらないでしょう。そういう子供達を甘く見てはいけないということ。だから、勉強する場に行ったら勉強するだろうなんていうのは、大人の側の期待と希望が混じった楽観論でしかないということなのです。

 

 にわかには信じられないかもしれませんが、入試当日ですらどうやって試験時間中に寝ないようにするかを考えるレベルの子供だって現実にはいるのです。いやいや、自分で高校に行くと決めたのに、試験時間に寝るとはどういうこと?と思うかもしれませんが、実際にそうなんです。「どうやったら寝ずに試験を終えられますか?」と真剣に質問されたこともありますからね。

 

 学習習慣がない、モチベーションも極端に低い低学力の子供を、大人の論理でもって何とかしようとするのはとても難しいのです。モチベーションを僅かでも上げるために必要な時間と労力は、そういう子供達と接したことがない人達が想像する以上です。もちろん、これもケースバイケースで、何らかの要因によって急にモチベーションが上がることもないとは言い切れません。が、それに過剰に期待するのは危険でしょう。時間的猶予がなくても、それでも焦ってはいけない。そういうものだと思います。

 

 僕が考えるに、そういった子供達に通ってもらうならば、まずは教室に来てもらうことが第一段階。そして、コミュニケーションをすることが第二段階。ありとあらゆる方法でもって、子供達とコミュニケーションを図っていく。例が適切かどうかはわかりませんが、アメとムチを例とするならば、アメ×5、ムチ×1でもアメが足りないくらいですからね。そうした段階を経た上で、子供達は色々と失敗して、いつかはわからないけれどある時自分自身で勉強の必要性に気付いて、それから本当の意味での勉強が始まって、少し理解できることが増えて、ちょっとだけ成果が出た、という感じになるまで、長い目で見守るしかない。焦って勉強を強制し、嫌々その時ばったりの勉強をさせても、それが身になるかどうかと言われれば恐らくなりません。見せかけの勉強では、わかったつもりになるだけで真に理解に結び付くものではないからです。こういった過程を全部すっ飛ばして、勉強する場所に行けば勉強するだろうというのは、先にも書いたように楽観だと思うのです。そう、これまで接してきた生徒達から僕自身も教わりました。

 

 しかし、こういった考えは、ある意味で一部の塾関係者にとっては不都合な真実なのかもしれません。塾業界が「当塾に来た子はこれだけできるようになりました」と多数の中の一部の生徒の事例を過剰に煽っている部分もありますから。だから余計に楽観論を生む原因にもなっているかもしれない。でも、現実はそんなに甘いものではないのです。だから僕は、勉強へのモチベーションが低い子供達には、科目の勉強だけを一緒にやれば良いなどとは全くもって思っていないし、無駄話と思えることが全く無駄ではなくて、むしろ有益であったり、このままだと失敗するなと思ってもあえて失敗させることもまた大事なことだと思っています。そういった様々な経験から多くの気付きを得て、自分自身で勉強することに挑戦する姿勢をつけてもらうことが最も重要だろうと。楽観とはかけ離れた現実的な話です。