本屋の話/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

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 今日、写真にある高校用の数学教材を2冊買いました。各務原市内のCという本屋です。教室から車で10分くらいで行ける距離です。普段はこことイオン各務原内のMのどちらかを使っています。というか、この近隣ではその2店舗くらいしか思い当たりません。実際には他にあるのかもしれませんが、ある程度の規模の本屋はこれら以外にはないと思います。

 

 昨日、岐阜駅周辺に行きましたが、その辺りでよく行く本屋と言えばJR岐阜駅内のShくらいです。以前はHという本屋がありました。高校生、浪人生の頃、Hには本当によく通ったものです。又、高校の帰り道や少し専門性の高い本を買う時は神田町のJをよく利用しました。しかし、これらの本屋も既になく、岐阜駅から徒歩圏内にあるのは先に書いたShと高島屋内のJプラスα程度です。

 

 大人になってからよく通ったMとかSaといった本屋も今はなくなり、代わりにそこそこの規模の本屋が郊外型ショッピングモールの中に入るようになりました。ついでに書いておくと、よく通った神田町にあった何軒かの個人経営の古本屋もこの何年かでなくなり、今や岐阜市内で古本といえば某大型チェーンのBくらいしか思い付かない状態です。

 

 近年、僕の身近なところだけではなく、日本全体で街の本屋がかなり減っています。東洋経済オンラインの記事によれば、1990年代の終わりに2万3000店程度あった本屋は、2018年には半分以上なくなってしまったとのこと。今時、確かにネットで本を買うことそのものは可能です。しかし、実際に本屋に行き、あれこれ手に取って見るのが面白いと思いますし、その結果として意図せぬ出会いがあると思うのです。本屋という空間がそれを可能にしている。その空間が減っているのです。

 

 僕は元々本が嫌いでした。できれば本を読みたくないとさえ思っていたくらいの本嫌い。ただの食わず嫌いです。それが、大学で出会った友人達の本好きに触発され、気付いたら暇があれば本屋に行くようになっていました。大学卒業から何年かはそれが続いていたと思います。それがいつ頃からか、近隣の本屋がなくなっていったのも理由の1つではありますが、また本とは縁遠い生活になってしまい、最近になってようやく読書を再開したという感じです。本屋に行った時の、何と表現したら良いのでしょうか、新たな本に出会えるかもしれないというワクワク感とでもいうべきものが、急に戻ってきたのです。

 

 本って、身近なものだと思うんですね、文庫や新書ならポケットにも入る大きさですから。大学生の頃、よくポケットに文庫を入れて、電車に乗る時なんかは少しずつ読んだのを思い出します。今みたいにスマホがない時代でしたからね。しかも、文庫や新書なら1000円でおつりがもらえる安さです。僕は岩波文庫を集めるのが好きなので(必ずしも読むという目的ではなく、単に蒐集しているだけという側面もありますが)、1000円もしない金額で古今東西の名著と出会えるのです。そう考えると本ってすごくないですか?極端な言い方ですが、たった1000円で、たった1000円ですよ、その僅かな投資でひょっとしたら人生を大きく変えるかもしれないのです。実際、僕が読んだ岩波文庫で特に印象に残っている、『大学・中庸』、内村鑑三『代表的日本人』、ヴェーバー『職業としての学問』、リップマン『世論』、オーウェル『動物農場』、これら全部1000円未満の本達です(『世論』は上下巻あるので合計すると1000円は超えますが)。

 

 そんな本と出会える本屋がどんどん減っている。寂しいことだと思いませんか?読書って知的活動の基本だと思うのです。街の本屋は言わば地域の知の集合場所。街の本屋がこれ以上減らないことをただただ祈るばかりです。

 

※僕が集めている岩波文庫は、流通上の事情があってある程度の規模の本屋でないと扱っていません。僕は岩波文庫の他に講談社学術文庫、ちくま学芸文庫などを扱っている本屋しか基本行かないということになります。逆に言えば、その規模の本屋であれば、品揃えが良い本屋とも言うことができますね。