今月に入ってから、全国各地で公立高校の合格発表が行われていますね。岐阜県は14日に行われました。合格発表前日と当日のブログも良かったらご覧ください(前日のブログ、当日のブログ)。
ところで、入試が終わってから合格発表までの間、受験生は本当に生きた心地がしない毎日を送ります。それは今年に限ったことではなく、毎年同じ。期待と不安と緊張のせめぎ合い、早く結果が出て欲しいという思いとできるだけ先延ばししたいという相反する感情のぶつかり合い、本当に苦しい1週間です。
そうして迎える合格発表当日。僕の時代、今から20年以上前もそうでしたが、未だに岐阜県の多くの高校が、合格発表の後の時間に入学説明会(ここで教科書の注文をしたりします)を行っています。つまり、合格発表には親子で行くことになりますので、不合格だった親子は泣きながら帰ることになります。しかも、入試当日の成績の開示は翌日以降にしか行われません。このことは岐阜県のホームページにも記載されています(左のリンクの41ページ目)。受験生はその場で合格までにどれだけ足りなかったかを知ることさえできません。ただただ不合格だったことだけを噛みしめながら、学校を後にせねばならないということです。誰が不合格だった学校に再度別日に出向こうと思いますか?それを15歳の子供達に行わせるって、公教育の教育者のみなさん、あなた達は正気の沙汰でやっているんですか?
入試が終わった後、生徒達とこんなことを話していました。例えば、合格発表当日の9時なら9時に掲示もするし、ネットで合格者の受験番号も開示する。各高校はホームページを持っています。やろうと思えば決してできないことではない。現地に行ってリアルタイムで掲示を見たいならば行けば良いし、とりあえずネットで見てから現地に向かっても良い。入学説明会を行うにしても、11時なら11時に合格者は学校集合とすれば良いではないか、と。そうでなければ、合格発表の後にすぐに入学説明会を行うことが、「不合格者への配慮があまりにもない」ことだと思いませんか?言い方は悪いですが、不合格の場合はさっさと退場しておくれ、って言っているようなものでしょう。「昔からずっと同じようにやっていることだから」では通用しないんですよ、今時ね。
今は家族に1台くらいはスマートフォンを持っている時代です。つまり、どこでもインターネットを使える時代なのです。そういう時代にあって、昔からの方法を踏襲し続けることが必ずしも善ではない、ってことに県教委や公教育の教育者は気付くべきなんじゃないでしょうか。文明の利器なんて物は使いこなしてナンボですよ。残念なのですが、そういうところの感性が全く感じられないのです。学校教育の「情報」というのは、パソコンなどの情報機器を使いこなせるようになればそれで良いのですか?違いますよね?情報リテラシーどうのこうのと教育する前に、情報を如何にして与えるか、こういうところのセンスが絶望的に足りないのではないですか?
実際にはこうした意見は現場の先生方から出ているかもしれません。もしそうであったら失礼をお詫びします。しかし、何十年も前から現実に何も変わっていないということは、そういう声があまりにも小さいか、前年踏襲主義で来ている、と世間から見られても何らおかしいことではないと思いますね。受験というのは合格者だけではない、不合格者もいる、という現実を忘れ、不合格者への配慮を怠るようでは、教育とは何ですか?と言わざるを得ないということです。
合格発表に潜む問題点については、奈良県にある進学塾teTsuの栗本先生のブログも非常に参考になるかと思います。是非ご一読を。