筆箱の中身を充実させるより/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 筆箱の中身がとても充実している子、結構いませんか?

 

 ごちゃごちゃしているのが嫌いな僕は、高校生の時でさえ、基本的に鉛筆何本かと消しゴム、赤ペン、機能性重視の定規、これらをクレーンゲームで獲得した安っぽい缶ペンケースに入れていただけで、それ以外の物は必要な時以外は持ち歩きませんでした。単純な話「使わないから」です。今でもその考えは基本的には変わらないですね。そういう考えでいるので、この仕事を始めてから、大きな筆箱にパンパンに大量のペンなどを入れている子と出会うことが度々あり、ある意味で衝撃を受けています。否定するつもりはないんですよ、本当にそれらが必要であるならば。ただし、本当にそれだけの物が必要なのでしょうか?

 

 何故このようなことを言っているかというと、「ロス」があるのではないかと思うからです。まず、勉強を始めるにあたって、「今日はどのペンを使おうかなぁ」なんて考える時間は、はっきり言って無駄です。でも、そういう子が結構いるんですよね、取り掛かるまでに時間がかかってしまう子が。それと色。様々な色のペンを使いこなすことで覚えやすくしたいという意味があるのでしょうが、様子を見ている限りでは覚えやすくするという本来の目的から逸れてしまい、よりカラフルにノートを仕上げるといったことが目的化してしまっているようにしか感じられないです。これも大きな無駄でしょう。更に言うなら、どこかで他者と比較しているように思うのです。たくさん持っている、新製品を持っている、ちょっと高級な物を持っている、などといった感じで。これも無駄ですよね。そんなことで他者と張り合う必要性すらありません。あとはあれか、筆箱の中が気になって、あれこれと触り始めてしまうこと。これもかなり無駄です。そんなことをするくらいなら、思い切って必要最低限のものだけを入れるようにした方が良いでしょう。1週間全く使わなかった物をリスト化してみたらわかりますよ、必要か必要ではないかが。

 

 道具にこだわることは決して悪いことではないのですが、原点に振り返って考え直してみてください。道具は使ってこそ意味があります。いくら豊富なペンを持っていようが、勉強に向き合おうと思わなかったら宝の持ち腐れです。次々と筆箱の中身ばかり充実させるより、それらを使ってもっと知識を充実させることに目を向けて欲しいのです。こだわるのは道具ではなくて、道具を使いこなして得られる知識の方であって欲しいものです。

 

※イラスト付の定規はあまりおすすめしません。小学生にありがちですが、目盛りが割と簡単に消えるような定規はできるだけ使わないようにして欲しいですね。見た目は無骨であっても、機能性重視の定規を使ってもらいたいのです。それは鉛筆やシャープペンなどでも同じ。華美な物を使うなとまでは思いませんが、そんなことよりも手になじむ物とか、書きやすいといった点にこそこだわって欲しいと思っています。