「ちょっと待った、本当にそれでいいのかい?」
岐阜県の高校入試が迫っています。だから、という訳ではないですが、自分がいつも見ている景色を疑いの目で見てみる、本当は違うのではないかと思ってみる、そんなことも大切ではないかと思い、書いてみようかと思います。
「自分ではこう書いているつもりです」
これ、漢字ミスの生徒の常套句みたいなものです。うん、そうだね、君はそう書いたつもりかもしれないが、残念ながらそうは読み取れないね、としか言いようがない。それは厳し過ぎると思うなら、自分の物ではなくて他者の物を自分が採点する側だったとしたらどう判断するのでしょう?あの子はこう書いているはずだから、なんて忖度して採点する訳にもいきませんよ、それを言い出したらキリがない。採点者は公平に採点しなければならないので、特定の誰かに肩入れすることなど許されませんから。と、普段はここまで言いませんが、あまりにも反論してくるようならいつでもそう伝えるつもりでいます。つまり、誰が採点しようが確実に得点できる字を書いた方が良いということ。判別不能な字や、曖昧な字で得点を失うこと程悔しいことはないんじゃないですか?
ちょっと本論からはやや逸れますが、こんなエピソードも紹介しておきましょうか。
「何が適当に働けばいいだ?そんな気持ちでいるなら、雇ってもらえると思うな」
これ、ある卒業生の最初の面談時での一言です。その卒業生は今、懸命に働いています。そのことは書いておかねばなりません。いつだったか「いきなり最初に怒られた」と笑って言っていましたが、そりゃね、塾運営者だからとかそういうのとは関係なしに、1人の大人としてやはり看過する訳にはいかなかったんですよ。どういう経緯でこの言葉に繋がっていくかというと、
「君は高校に行くつもりはあるの?」
「はぁ?別にどっちでもいい」(姿勢は悪く、如何にも不良の座り方で)
「いやいや、別にどっちでもいいはないだろう。高校行くつもりはあるのか?」
「行けなければ適当に働けばいい」
この後に先程の一言です。多分、その生徒は今は同じようなことを言わないと思いますよ。社会に出たせいか、僕には甘えている節がありますが、職場の先輩の前では言葉遣いも直したようです。やはり「適当に」なんて言えるようなものではないよね。それで、その生徒に言ったんですよ、将来独立して、君と同じような境遇だった子を拾って育て上げて欲しいと。その真意を理解してくれているかはわかりませんが、過去の自分を少しは、いや本当に少しかもしれないですが、冷静に見れるようにはなったと感じています。
話を戻します。僕自身もそうですので自戒を込めて書きますが、人間ってやっぱり自分は正しいと思いがちだし、そうだと思いたいものです。だからこそ、時には第三者的視点で自分を見つめ直す必要があると思っています。
このことは入試の時でもそうですよ、自分ではこれで良いと思って書いた字が、採点者の視点だと良くないと判断されるかもしれない。特に漢字とアルファベットは要注意だな。迷った時、焦った時、困った時、一度立ち止まって深呼吸。そして、第三者になったつもりで、この解答で本当に良いものかと再度チェックしてみましょう。そうしたら、先程まで見ていた解答に違和感を感じるかもしれないし、もう1回問題そのものを解き直そうと思えるかもしれませんよ。