役に立つのか?役立たないのか?/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 ツイッター上で「こんなこと勉強して将来何の役に立つんですか?」から始まるツイートを見掛けました(この方のツイート内容そのものはリンクからご覧ください。今回はあくまでもこの方の問い掛けにのみフォーカスした形でブログを綴りますので。)。これと同様の疑問は何も子供達に限ったことではなく、大人の人達も子供の頃に1度や2度は感じたことではないでしょうか?僕もその1人であっただろうと思います。正確に記憶はしていませんが、特に数学や理科分野には同様の疑問を持っていたことでしょう。とにかく苦手だったし、嫌いでしたからね。

 

 疑問を持つこと自体は不自然なことではないし、むしろ自然なことではあると思います。いいんですよ、疑問に思っても。僕は日々勉強嫌いな子や勉強が苦手な子と向き合っているので、彼らの心の中にはきっと疑問が渦巻いていると思うんです。何でこんなことをやらないといけないのか、何で勉強する必要があるのか、と。

 

 そこでちょっと立ち止まって考えてみて欲しいのは、もし本当に勉強する必要がないのであれば、何故学校教育で教えられているのでしょう?何故みんな勉強しているのでしょう?そこに注目して欲しいのです。

 

 はっきり言って、僕の前職は自動車関係の仕事だったので、大学で学んだ政治や歴史などのことが直接的に役立ったかと言われるとほとんど役立っていません。でも、学んだことそのものが無意味だったとは全くもって思っていない。何故なら、直接的には今こうして塾を運営し、生徒達に僕が学んできたことを伝えることができるからであり、間接的には生きる上で学ぶこと、学ぶために思考することは必要不可欠な要素であるからです。そう、学んだことを直接的、間接的に役立たせるような人間を目指せばいいじゃないですか。学んだことそのものだけではなく、学ぶために苦労したこと、思い出なども全部含めて役立てられればいい。

 

 それに加えて、こういう見方もできると思っています。役に立つか立たないかに関係なく、眼前の課題として与えられたことを懸命にこなせる人間にこそ価値がある、と。役に立つか立たないか、またできるようになるかできるようにならないかに関係なく、眼前の課題として与えられたものであるとすれば、それをクリアしよう、乗り越えようと努力するのって生き様そのものなのではないでしょうか。そこにこそ価値がある。僕はそう思っています。

 

 最後に、今回のブログで綴ったことの一部はツイッターでも発言しています。良かったらそちらもご覧頂ければ幸いです。

 

https://twitter.com/rsnonaka/status/1100413854289281026

 

https://twitter.com/rsnonaka/status/1100608167187079168

 

 

※ツイッターでは1回のツイートに字数制限があるため、今回のブログはツイッターでの発言に基づき、そこに加筆する形を採らせて頂きました。