結果にコミットしない!?/RS野中/勉強が苦手な子のための学習塾/岐阜・岐南・笠松・ 各務原

 ある保護者の方とお話していて感じたことです。

 

 その保護者の方のお子さんは、結構長く通ってくれていますが、今でも勉強は嫌いです。勉強は嫌いなはずなのに、塾に通うこと自体をやめたいとは言わないそうです。正直なところ、もう少し成績アップに貢献しなければと常々思っているのですが、成績のことだけではなく、RS野中の塾の雰囲気を気に入ってくれて通い続けてくれていることは有難い限りです。その生徒にとって、RS野中は学校とはまた違った居場所として機能しているのかな?と勝手に想像しています。

 

 この生徒の例ではないですが、RS野中には様々な思いを抱いて入塾してくれる生徒がいます。塾である以上、学力を上げたいとは思わずに入塾する生徒はいないでしょうし、やはりそこがメインではあるのですが、塾というものの捉え方は多種多様だと思うんですね。

 

 早急に結果を出したいという場合には、はっきり言ってRS野中の指導方針は合わないと思います。生徒の現状を無視し、点数という目に見えた結果を出すためだけに、無理を承知でガンガン課題を出すようなことはありません。最初から生徒本人がそれを望むならば別ですが、課題を出しても多分やらないだろうなぁくらいにしか考えていませんので、いずれ自ら望んで課題が欲しいと言うようになるのを気長に待つ方を選びます。自発的に学ぶように仕向けていくのがRS野中の役割だと思っていますので。

 

 それと、特定の高校に何人合格したとか、合格率が何%であるとか、そういったことにも正直なところあまり興味がないので、塾としての実績目当てのために生徒に無理をさせようという気もサラサラありません。できることを確実に1つずつ増やしていけば良い、そう信じて疑っていませんし、その積み重ねが志望する進路を実現する原動力になると思っていますので。

 

 そう考えてくると、RS野中の考え方は、言ってみれば某トレーニングジムのCMのように「結果にコミットします!」という考え方とは対極に位置することになるのかもしれません。「結果にコミットしない!」と言い切ってしまうのはおかしな話ですが、僕は合格という一点だけに特化してコミットすることはしたくありませんし、恐らくそれだけを求められて入塾してくる生徒は少ないと思っています。そもそも、「結果にコミットします!」の持つ言葉の意味合いは「必ず結果を残します」という約束だと思うのですが、塾というものの捉え方が多種多様であり、生徒達は様々な思いを抱いて入塾してくれているのに、「結果」が合格という一点だけを指すものではたして良いものなのでしょうか?

 

 そういったことを感じました。